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マビノギブログ

くまさんサーバーの女帝こと時流さんが持ち前のドSな性格と執念をもってかき乱す物語。とりあえず、お前にレインボー。
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2011/09/25
00:13
このブログでの世界観 Vol.2-イメンマハ-

 久々の更新はダンバートン/バンホールが陥落した後に征服される予定の『イメンマハ』について。
とりあえず古写真が残っていたのでチラッと紹介しようと思います。


馬上の王















愛馬に跨り渓谷を見下ろす高台に陣取るは聖歴1626年頃のトキール。
撮影地はダンバートン/イメンマハ間のオスナサイル街道と思われる。この頃にはカラー写真が次第に
普及し始め、エイリフ国軍の活動写真にもよく登場するようになる。

イメンマハに向かう経路は大まかに二つ。ひとつがこのオスナサイル。もうひとつは、ダンバートン南、
少し小高い丘の連なるガイレフ街道。前者は大規模部隊の進軍にはまるで向かず、かといって後者は
あまりに見通しが良すぎて部隊が進軍するだけですぐ見つかってしまう。
またその先のセンマイには廃墟を生かしたトラップがあるなど、ある種、自然の要害を数多く持っている。
タラの東、ブラゴ平原からも進軍が出来ないわけではないものの、ここには元々貴族たちが葡萄農園など
数多くの荘園を持っており、そちらからの進軍は貴族の妨害に遭い望めない状況であったという。
(無論、ミュンヒハウゼン家もこの地域に荘園をいくつも所有し、重要な財源の一つでもあった)



玉座にて。


















 もともとイメンマハの領主リアン5世はエイリフで言うところの文治派。
戦争や軍事行動、軍拡を極端に嫌い、親衛隊と一部の予備役兵を持つのみであった。
そのため天然の要害である『水』『森』『谷』このすべてを抜くことが出来ればイメンマハは陥落する
運命にあったのだ。バンホールにおける1年にも及ぶ大殲滅戦から約10ヵ月後、イメンマハに対する戦闘が
始まり、自然の要害に悩まされながら半年で包囲を完成させたエイリフ国軍は、第4次南部国境戦を以って、
ようやく戦闘の終結を見た。リアンは降伏後直ちにタラに送られ断頭台の露と消えた。

親衛隊組織自体はそのまま軍が掌握しているが、親衛隊長アイディンがなにやら不穏な動きを見せている様子。

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